カクマ難民キャンプのプロジェクトマネジャー高村憲明さんご逝去に関して
わかちあいプロジェクトのカクマ難民キャンプ,プロジェクトマネジャーとして昨年8月から、難民たちに一番近い所で活動していた高村憲明さんが、自ら運転していた四輪駆動トラックの横転事故で7月7日に亡くなりました。
カクマから100キロあまり離れた隣町のロドアで地域の中学生のサッカー大会に出場する道での事故でした。前日の金曜日には出場選手のためにパスタをつくって食べさせ励ましたといいます。
彼は1997年春に、わかちあいプロジェクトの例会にはじめて出席し、8月から3ケ月間、タンザニアのキボンド難民キャンプでボランティア活動に参加しました。また、1999年11月の福岡国際マラソンに参加したエチオピア難民のアンバチョウ選手のサポートを行い、当時無名であったエチオピアのアベラ選手(シドニーオリンピック優勝、世界陸上優勝)の2選手と一緒に大濠公園で練習するほどスポーツを愛する青年でした。
難民の若者に、私たちと同じようにチャンスを与えたい、私たちと同じように幸せであって欲しいとの願いを精一杯、実践していました。
昨年8月、カクマに赴任したとき、なぜカクマで働きたいのかとの私の質問に、キボンドの難民キャンプで現地スタッフにいろいろとお世話になったことに触れ、その親切に報いたいといっていたことを思い出します。
高村さんのなかに、日本人の良さ、すばらしさを見い出すのは私だけではないと思います。控えめであるが、責任感とまじめさに溢れ、人をわけへだてず、弱い立場の難民に期待し、自らすすんで喜んで奉仕する。
難民の青年たちが、御両親の前で身ぶりをつけて朗読してくれた詩の通り、本当に「日本の宝」として私の心に生き続け、私を励まします。(2001年、松木)
2000年カクマの演劇チームは、ケニアの演劇大会に出場して好成績をおさめた。
難民にはそのような機会が与えられることは無いが、高村さんは予算を立て資金を用意してそれを可能にしました。
2001年 長野マラソンにエチオピア難民ランナーを同伴後、カクマに再度帰る途上、チェンマイのわかちあいプロジェクトのコーヒー店に立ち寄ってくれました。
右手の竹籠にスズメが入っています。放してやることが、功徳を積むという仏教の教え。
難民の人達が彼に捧げた詩: Gift of Japan
Gift of Japan In the name of the youthful and cultured boy This gift robbed from our midst The Engine of the Youth, made in Japan How we fare, go tell Japan As though the sun rises but West sets Candle in the wind soon blown away |
若さと教養にあふれる青年は この贈り物は、私達から奪い去られた 若者達の原動力、日本製のエンジンのよう どうしたら私達は日本まで旅し伝えることができるのか 日が昇っては西に沈むけど ろうそくの火が風に吹かれて消えてゆく |
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