2002年古着支援報告インドネシア

宇野 仰


本日から段ボールから古着を出してアレンさんがアイロンがけを始めました。結構汚れているものがあり、洗濯が必要です。いただいた人には文句は言えないのですが、以前働いていたアジア学院でも同じ状況で、ゴミと同じ気持ちで寄付されたのでは困りますね。
  昨年は共同体開発部門の人たちがどんどん段ボールから出してごちゃ混ぜ状態でしたが、今年は違う。きちんとアイロンがけして男性・女性・子供に分けて、タッグも付けて、どうせ販売するならかっこよく行きたい。(奨学資金として基金にしています)
 
宇野さんからの報告です。
タルトゥン(事務所のある町)に到着するまでもすんなり行かず、昨日は話しませんでしたが、第1便が到着して積み下ろしを開始したのが10時。突然警察がやってきてストップがかかったのが11時。以後3時までデボラさんのお父さんと私はいろいろ質問、まあ取調べを受けました。私のパスポートでは仕事が出来ないとか、いくらお父さんがこれは収入を伴わないNGOの活動だと説明しても納得してもらえず、運送会社の送り状を見せろとか、わかちあいプロジェクトの書類一式を見せろ、コピーをとって来い言われて、往生しました。幸い一昨日のナインゴランさん(省の知事)のビザに関する書類があったので、本人に聞いてみるとか、HKBPのシマルマタ牧師に確認を取るなどの手続きをしました。幸か不幸か両者とも不在で確かめようが無かったのですが。私のパスポートの入国日のスタンプを見てお前のビザは2ヶ月前に切れていると言われてみたり、その間トラックは通行の邪魔になるので場所を移動して、荷下ろしを頼んだ人たちは長いこと自宅前で待機していました。

怪しい者じゃないことをようやく理解してくれたようで、ようやく開放されて、荷下ろしを再開。終了したのが5時半でした。第2便が翌日到着するというので私は犬たちの散歩へ行こうとしたところに早くも第2便が到着です。やわらかい段ボール箱で送っていただいたものはほとんどが破れていまして、その破れて中身が見えるものを荷下ろしを頼んだ人たちがどんどん選び始めて服は散らかるし、それまで着ていた服が届いた古着と混ざったりして、これは私にはコントロールできませんでした。選ぼうとする先からどんどん壊れた箱は2階に運び上げましたが、破損の箱が多くて2階は混乱状態です。そうこうするうちにコンピュータが置かれている部屋が満杯になりコンピュータは使用不可能です。私の一眼レフは転落して凹むし、隣近所の子供が来て教会に着てゆくから服が欲しいと大声を出したり、自宅前は段ボールやらビニールやらのゴミが散乱。日がどんどん暮れてコンテナ内が暗くなってライトが欲しいとか、荷下ろしも皆疲れてきて最初は丁寧に積んでいたものがもう投げ積みです。私は警察で調べられる前から食べておらず、戻ってきてバナナを2本食べただけでしたので、空腹の絶頂になり、そんな中でストレスを感じました。9時過ぎに終了。再び警察がやってきて仕事の様子を見て戻ってゆきました。今は寝る場所と歩く場所が確保されているような状態です。10時過ぎにジャカルタのリパさんから連絡が入り古着に付けるタッグをジャカルタで注文して届くのが1週間後なので、タルトゥンに送ってもらうように手配してくれました。

ときどき古着支援として、使用しなくなった制服が寄付されます。今回、富国生命で制服が廃止されたため女性用の新品の制服が寄付されました。偶然にインドネシア行きのコンテナに積み込まれたことを知り、インドネシアの学生の制服として使ってもらうことになり、本日、写真が郵送されてきました。